映画メモ

映画やゲームや小説の感想など 2016年6月~

シンゴジラ(2016)

感想(批判2割・賞賛8割)

  • 昨今世間一般に広くはびこっている日本人自画自賛「愛国」ブーム(日本ってすごい!日本人って偉い!と日本人自ら主張する、およそ謙遜という美徳を欠いた下品な現象と、それを補完する、日本に対する批判をすべて「反日」勢力によるものと認定し、批判には一切耳を傾けないという傲慢な「否認」の機制)にぴったりと寄り添う描写が気になって仕方なかった。率直に言って、一部の右寄りの人たちが「我が意を得たり」と喜びそうな描写ばかりだった。
    首相官邸周辺の政治家や官僚をこの上なく美化して英雄として描き、緊急事態条項を欠いている現行日本国憲法こそが諸悪の根源だと説き、大衆による国会前デモを軽く嘲笑してみせ、漠然とした嫌韓感情にも同調してみせ、日本人のみで構成された組織(しかもほとんど男性)の優秀性を絶賛し、「この国はまだまだやれる」(←一体、何を?)と10年後の首相候補に言わせる。
    ネット界隈でこの映画が大絶賛されるのも当然だと思えた。主役はゴジラじゃなくて、抽象的な「日本」。
    こうした日本賛美を皮肉と取ることも可能だが、フィクション(美化された理想の日本)と現実(劣化したネトウヨ社会日本)を混同することももちろん可能。
  • この映画で印象に残ったところは、生体原子炉を内蔵する完全生物であるゴジラのことを、「霞を食って生きる仙人のようだ」と誰か(矢口だったかな?)が評するシーン。
    沿革的に、ゴジラというものは、先の戦争のことを忘れて経済的繁栄を謳歌する戦後日本社会への呪詛(三島由紀夫が愛したゴジラ)であったわけだけど、もっと言えば、ゴジラとは、およそ人間的な生(生きることそのもの)に対する呪いである。人間という罪深い存在(先の戦争は、人間が犯した計り知れない大罪のうちのひとつ)は、生きていくために不可避的に不正義を犯す。人間は他を殺し喰らわなければ生きていくことができない。「生きていくためには仕方ない」、これが不正義に対する人間の言い訳の原型。
    食べることも生殖することも要しない「霞を食って生きる」ゴジラという生き物は、まさにこうした人間の生そのものを標的とするテロリストとしては純粋に理想的な存在。
    この清貧テロリストが凍結されたまま今後永続的に日本の首都のどまんなかを占拠し続けることの意味。いつ再び動き出すとも知れない不気味なテロリストが自分のまさに内なる中心にずっといるということ。
    ゴジラは呪いであると同時に、福音でもあると矢口に語らせた。庵野秀明監督らしいメッセージ。
    清貧テロリストに対するある種の共感(それは生きていることに対する罪悪感、恵まれていることに対する後ろめたさの別名でもある)なしには、ゴジラは語れないと思う。無辜の人間なんてどこにもおらず、誰がテロリストの標的になってもおかしくない。ゴジラというテロリストへの共感を通じて、もう一度謙虚さを取り戻すことが一番大事な事だと思う。
    現在の日本社会の主流であるリフレ派=アベノミクス的な発想(いわば、生きることに対する「開き直り」がその特徴。「人間が生きて何が悪い?」という開き直り。)からすれば、こういう清貧・反成長的な価値観の権化たるゴジラこそ真の敵なのだと思う。そういう意味で、庵野ゴジラのラストは反時代とも言えるのかもしれない。