読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

映画メモ

映画やゲームや小説の感想など 2016年6月~

Final Fantasy XV(2016) ファイナルファンタジー15

FF15ストーリーざっくりあらすじ

細部はバッサリ省略してネタバレ込みで物語のあらすじだけ。 

 帝国の陰謀によって父王を殺され祖国を破壊された王子(ルシス王国の王子ノクティス)が、仲間と共に世界を遍歴するなかで力を蓄えて成長を遂げ、帝国への復讐を目指すという筋で序盤の物語は進んでいく。 

 が、徐々に判明してくるのが、帝国は何らかの「闇」によってすでに乗っ取られているという事実。もはや、帝国vs王国という単なる国家間の政治的争いが主題ではなく、この「星」そのものを闇で覆い尽くそうとしている邪悪な存在に立ち向かい、世界を救うという次元の話になってくる。

 

 途中すっ飛ばして結末を書くと、帝国を乗っ取っているラスボスとは、帝国の宰相であるアーデン。そして彼の動機は、ルシス王国に対する復讐。

 実は彼アーデンは生身の人間ではなく、はるか昔にルシス王国によって処刑された一人の男の怨念が実体化したものであり、いわば祟り神のような存在。ルシス王家の血統を未来永劫滅ぼすことが彼の最終目標。

 この部分に関してアーデン本人が語った神話的な昔話を引用しておくと、

それはそれは大昔の話。
特効薬のない流行病が蔓延した。
元凶は寄生虫だった。
その病に冒された者は化け物とみなされ殺された。
当時、ルシスに一人の男がいた。
自分の体に病を吸い取り、一人で病人たちを救っていた男が。
が、まだクリスタルに選ばれていなかった王は、
その人々を救える唯一の男を殺してしまった。
化け物呼ばわりしてな。
(Chapter 13  奪還)

  ここで語られた「一人の男」=アーデン。

 病を治す力を持ち人々の支持を集めるカリスマの存在は、王家にとっての政治的な脅威とみなされたのであろうか、彼は王家によって殺された。その彼が、王家を末代まで祟ろうと怨霊化し、永遠の命を得た。

 

 このラスボスをいかにして倒すかが問題になるが、「星」そのものの存続を脅かすまでに闇の力を身につけたアーデンを倒すためには、ノクティスは「真の王」(英語版では"Providence")となりその力を得る必要があるらしい。 

 だが、「真の王」になるには代償を払わなければならず、その代償とは命そのもの。要するに、世界を救う力を得るためには、ノクティスは生身の人間としての命を捨てなければならないということ。この点については以下、剣神バハムートの台詞から。バハムートによると「真の王」の力とは、

不死となったアーデンを葬る唯一の力。
歴代の王の剣と聖石の魔法、六神をも超越した力ですべてを浄化する。
お前が玉座で命を捧ぐほかこの力を解放する術はない。
お前の命と引き換えに力を解き放てばすべてが終わる。
偽りの王は闇とともに滅び、世界には夜明けがもたらされよう。
人として生きる喜びを捨て、王の使命を全うするのだ。
さぁ、力を求めよ。真の王の力を。
(Chapter 13 奪還)

 

 さらにすっ飛ばして結末を書くと、ノクティスは、この世界を闇から救うために命を投げ打つ決心をする。

 ノクティスは長らく連れ添った仲間とも別れ、独りでルシス城内の玉座に向かい、死せる歴代の王及び自らの父に囲まれて、息絶える。命を捧げて「真の王」の力を得たノクティスはアーデンを滅ぼし、世界は再び光を取り戻した。終。

 

 エンドクレジットでは、例のスタンド・バイ・ミーの曲をバックに、いわゆる日常パートの走馬灯シーン。ノクティスが仲間と共に旅をしていた頃、「楽しかったあの頃」の写真が次々と映し出される。

 

 と、ストーリーは大雑把にまとめるとこんな感じでシンプルだけど、いくつか細部でよく分からないところがあったのでその点は保留中。

  • 物語最終盤、ノクティスがクリスタルの中に引きずり込まれて異世界の中で剣神バハムートと対話し、「真の王」の力を得るための決意をするが、現実世界に再び戻るのに10年の歳月を要したという点が、どういう設定に基づくのかよく分からなかった。
    現実と虚構の境目が曖昧な演出の連続もあって、どこまでが現実の話なのか、ノクティスの幻視の話なのか判然としなかった(それが演出の狙いなんだろうけど)。
    ノクティスが10年ぶりに帰還することを仲間たちはなぜ知っていたのか、意識を取り戻したノクティスの身体が、離れ小島の石牢の中に置かれていたのはなぜなのか、分からなかった。

  • 「真の王」の力を得るためには命を捧げなければならないという設定がいきなり出てきたので、唐突な印象を受けた。
    剣神バハムートに告げられるまで、ノクティス本人もこの件に関しては何も知らされていなかったようだし、こういう最重要事項を直前まで知らされないままいきなり契約を求められるノクティスが可哀想に思えた。
    でも、この件に関しては、Chapter 05で、神凪ルナフレーナの兄であるレイヴス将軍がノクトゥスに対し「雷神の啓示を受けたか。それが何を意味するかも分からずに…」と意味深な台詞を残していたので、一応ちゃんと伏線は張られていたのかなと思う。
    レイヴスは、ノクトゥスとルナフレーナの悲劇的な宿命を知っていたからこそ、その運命を変えるために帝国軍に自ら志願した可能性もあるのかな。実力で六神を殺し、誓約と啓示を事前に封じることにより、妹とその婚約者の未来を守ることがレイヴスの目的だったのかもしれない。しかしその一方で、妹に対して、神凪の使命を守り通しノクティスに指輪を渡すよう強く告げたりもしているし、レイヴスの真意はよく分からない。

シンゴジラ(2016)

感想(批判2割・賞賛8割)

  • 昨今世間一般に広くはびこっている日本人自画自賛「愛国」ブーム(日本ってすごい!日本人って偉い!と日本人自ら主張する、およそ謙遜という美徳を欠いた下品な現象と、それを補完する、日本に対する批判をすべて「反日」勢力によるものと認定し、批判には一切耳を傾けないという傲慢な「否認」の機制)にぴったりと寄り添う描写が気になって仕方なかった。率直に言って、一部の右寄りの人たちが「我が意を得たり」と喜びそうな描写ばかりだった。
    首相官邸周辺の政治家や官僚をこの上なく美化して英雄として描き、緊急事態条項を欠いている現行日本国憲法こそが諸悪の根源だと説き、大衆による国会前デモを軽く嘲笑してみせ、漠然とした嫌韓感情にも同調してみせ、日本人のみで構成された組織(しかもほとんど男性)の優秀性を絶賛し、「この国はまだまだやれる」(←一体、何を?)と10年後の首相候補に言わせる。
    ネット界隈でこの映画が大絶賛されるのも当然だと思えた。主役はゴジラじゃなくて、抽象的な「日本」。
    こうした日本賛美を皮肉と取ることも可能だが、フィクション(美化された理想の日本)と現実(劣化したネトウヨ社会日本)を混同することももちろん可能。
  • この映画で印象に残ったところは、生体原子炉を内蔵する完全生物であるゴジラのことを、「霞を食って生きる仙人のようだ」と誰か(矢口だったかな?)が評するシーン。
    沿革的に、ゴジラというものは、先の戦争のことを忘れて経済的繁栄を謳歌する戦後日本社会への呪詛(三島由紀夫が愛したゴジラ)であったわけだけど、もっと言えば、ゴジラとは、およそ人間的な生(生きることそのもの)に対する呪いである。人間という罪深い存在(先の戦争は、人間が犯した計り知れない大罪のうちのひとつ)は、生きていくために不可避的に不正義を犯す。人間は他を殺し喰らわなければ生きていくことができない。「生きていくためには仕方ない」、これが不正義に対する人間の言い訳の原型。
    食べることも生殖することも要しない「霞を食って生きる」ゴジラという生き物は、まさにこうした人間の生そのものを標的とするテロリストとしては純粋に理想的な存在。
    この清貧テロリストが凍結されたまま今後永続的に日本の首都のどまんなかを占拠し続けることの意味。いつ再び動き出すとも知れない不気味なテロリストが自分のまさに内なる中心にずっといるということ。
    ゴジラは呪いであると同時に、福音でもあると矢口に語らせた。庵野秀明監督らしいメッセージ。
    清貧テロリストに対するある種の共感(それは生きていることに対する罪悪感、恵まれていることに対する後ろめたさの別名でもある)なしには、ゴジラは語れないと思う。無辜の人間なんてどこにもおらず、誰がテロリストの標的になってもおかしくない。ゴジラというテロリストへの共感を通じて、もう一度謙虚さを取り戻すことが一番大事な事だと思う。
    現在の日本社会の主流であるリフレ派=アベノミクス的な発想(いわば、生きることに対する「開き直り」がその特徴。「人間が生きて何が悪い?」という開き直り。)からすれば、こういう清貧・反成長的な価値観の権化たるゴジラこそ真の敵なのだと思う。そういう意味で、庵野ゴジラのラストは反時代とも言えるのかもしれない。

Warcraft (2016) ウォークラフト

映画版ストーリーあらすじ(適当・ネタバレ含)

  1. オークたちの故郷である惑星・ドレノール(Draenor)が忌まわしい魔法フェル( fel)の汚染により荒廃したため、グルダン(Gul'dan)率いるオーク軍は、新天地を求めて、空間移動を可能とするポータルを開き、惑星アゼロス(Azeroth)への侵略を開始する。
    本作の主人公の一人である、フロストウルフ族オークの族長であるデュロタン(Durotan)も、親友オーグリム(Orgrim)と共に一族を率いこの遠征に従軍していた。
  2. 一方、惑星アゼロスでは、今作のもう一人の主人公である、ストームウィンド王国の騎士であるローサー(Lothar)が、何者かに襲撃を受けた集落の調査を行っていた。
    魔術師集団キリン・トールから破門された若い見習い魔術師のカダガー(Khadgar)もまた独自に調査を行っていたが、集落に残された死体に、フェルの魔法の痕跡を見つけた彼は、ストームウィンド王国の王であるレイン(Llane)に接見し、フェルに対する調査をするため、アゼロスのガーディアンであるメディーヴ(Medivh)に接触することを進言する。
    王の命令で、メディーヴのもとにローサーとカダガーが派遣される。
  3. フェルの痕跡を追っていた調査隊一行がオークによって襲撃を受ける。メディーヴの魔法によってオークたちは撃退されたが、この時、カダガーは、オークと人間の混血児である女性奴隷・ガロナ(Garona)を助け解放する。ガロナはストームウィンド王国に忠誠を誓い、グルダン率いるオークたちがさらにもう一度ポータルを開いて第二波の大軍をアゼロスに送り込む計画を進めていることを暴露する。
  4. 一方、フロストウルフ族オークのデュロタンは、フェルの力に依存しているグルダンをこのまま野放しにしておくと、惑星アゼロスもまた汚染・荒廃の道をたどると考え、グルダンの暴走を止めるべく人間たちと協力することに決める。親友オーグリムが止めるのも聞かず、ストームウィンド王のレインに使者を送りブラックロック山のふもとで密かに会合を行うことを提案する。
  5. その頃、書物を読み研究を続けていたカダガーは、惑星アゼロス侵略のためにオークはポータルを開いたが、ポータルを開くためには惑星アゼロス側にも協力者の存在が不可欠であるという事実を知る。このことをメディーヴに知らせようとするが、メディーヴはカダガーの読んでいる書物をすべて焼き、それ以上の研究をやめるよう警告する。カダガーはメディーヴの振舞いを訝しく思う。
  6. グルダン打倒のためフロストウルフ族オークと人間の会合が開かれるが、その場にグルダンの手下であるブラックハンド(Blackhand)率いるオーク軍が待ち伏せており、襲撃が始まる。メディーヴが唱えた魔法のバリアによりオーク軍の襲撃は食い止められるが、このバリアのためにローサーの一人息子であるカラン(Callan)が命を落とす。ローサーは様子のおかしい旧友メディーヴに対して不信感を募らせる。
  7. 魔法の詠唱により憔悴しきったメディーヴを、カダガーとガロナがカラザーンまで運ぶが、この時、メディーヴの目にフェルの痕跡を見て取ったカダガーは、メディーヴがフェルによって汚染されている可能性を危惧する。
  8. ダガーはキリン・トールの本拠地である魔法都市ダラランへ向かい、魔術師アロダイ(Alodi)にメディーヴの身に起きた異変のことを知らせる。アロダイによると、裏切り者であるメディーヴはすでにフェルの力によって支配され精神を乗っ取られているという。
  9. オークたちの間では、グルダンを裏切ったデュロタン一味に対する粛清が始まる。デュロタンの親友オーグリムは、ひそかにデュロタンの妻ドラカ(Draka)とその息子ゴーエル(Go'el)を逃がす。ドラカはその後、追手のオークから息子を守るため、息子を籠にのせて川に流し、自らは絶命する。
  10. デュロタンは伝統にもとづいて決闘をグルダンに申し込む。両者は戦うが、グルダンは不正を行いフェルの力を使ってデュロタンを殺す。グルダンの不正を糾弾するオークたちはその場でグルダンによって殺される。なりふり構わぬグルダンは手下のブラックハンドをフェルの力によって強化する。
  11. フェルの力によって完全に汚染されたメディーヴは、オークの大軍をアゼロスに招き入れるためにグルダンと連携して再びポータルを開く。
  12. グルダン率いるオークたちの侵攻を食い止めるべく、王レイン率いるストームウィンド軍が迎え撃つ。
  13. ローサーとカダガーによってメディーヴは倒されるが、メディーヴは瀕死の状態でようやく正気を取り戻し、ドレノールへのポータルを閉じ、代わりにストームウィンドへのポータルを開いて、オーク軍によって捕虜にされた人々の避難を助ける。
  14. オークの大軍によって取り囲まれたレイン王は、このままむざむざグルダンに殺されるよりは、ガロナによって殺されることで、ガロナを生き延びさせ、彼女に未来を託すことに決める。レインは自らを殺害するようガロナに依頼する。王の真意を悟ったガロナは王を殺害し、名誉をもってオーク軍に受け入れられる。
  15. 単身グリフォンに乗り王の救出に駆けつけたローサーは、王がガロナによって殺されたことを知る。王の亡骸を持って帰ろうとするが、ブラックハンドに阻止され、決闘を持ちかけられる。ブラックハンドを一撃のもとに倒したローサーは、王の亡骸をストームウィンドへ持ち帰る。
  16. その後、ストームウィンド王国内でレイン王の葬儀が行われ、ドワーフやナイトエルフなど他種族の代表者が列席する中、オークに対する連合軍(アライアンス)の結成が宣言される。
  17. デュロタンの息子ゴーエルをのせた籠が下流の岸に流れ着き、一人の人間によって拾われる。
    以上

感想

  • 映画版は、原作ゲーム版とはかなり設定を異にしていて、違いの細部をあげたらキリがないけど(例えば、映画版でデュロタンの親友として登場するオーグリムは、原作ゲーム版ではフロストウルフ族ではなくブラックロック族のオークなので、デュロタンとの関係もかなり異なる。また、ガロナは人間とオークの混血ではなく、オークとドレイネイの混血。ローサーのイケメン息子カランは映画版オリジナルキャラで、ゲーム版には存在しない。デュロタンvsグルダンの決闘も映画オリジナル、などなどいろいろ)、もっとも大きく異なる点は、次の二点。
  • まず一点目は、映画ではすべての悪の根源がフェルという魔法の力に求められているけど、ゲーム版ではフェルの魔法の背後にはリージョンと呼ばれる悪魔的な軍団の存在があって、メディーヴが正気を失ってダーク・ポータルを開きオークたちをアゼロスに招き入れたのは、彼がリージョンの親玉でありゲーム版のラスボスとも呼べるサーゲラス(Sargeras)に精神を乗っ取られていたから。(メディーヴの母オーグウィン(Aegwynn)がすでにサーゲラスの憑依を受けていたので、彼女の子宮にいた時にメディーヴはサーゲラスの支配を受けていた。細かい設定については、つい最近発売されたばかりの、ブリザード公式の設定資料集であるWorld of Warcraft: Chronicle volume 1を読むと分かりやすいのでおすすめです。WoW世界の歴史が事細かに編年体で書かれているのでかなり面白い。ボリューム2,3と続々刊行予定とのこと)映画版では、このリージョンの存在がまったく語られず、メディーヴの精神を乗っ取り狂気に走らせる力が、フェルという魔法に内在しているように描かれている。また、映画版ではオークたちが故郷を追われたのもフェルのためという設定になっているが、ゲーム版ではそんな設定は無い。
  • 第二点目は、物語ラストのガロナによるレイン王の殺害。原作版では、ガロナはグルダンによって洗脳されており、なかば操られて正気を失った状態でレイン王を殺害する。ガロナは自分がレイン王を殺害することを予言のヴィジョンを通じて事前に知っており、自分の運命に抗おうとするが、それでもやはり結局王を殺してしまうという悲劇のヒロインなのが原作版世界のガロナ。
    これに対して映画版では、王に依頼されて、ガロナ自ら主体的に決断して王を殺している。この違いはかなり大きい。
  • この第二点目について、オークの大軍に囲まれて孤立無援なレイン王を殺したガロナがオークたちによって英雄として受け入れられるという展開はちょっと無理があった。
    ガロナは人間軍の一員としてオークたちの間でも認知されていたわけで、オーク軍が圧倒的に優勢な状況下でガロナがレイン王を殺したところで単なる卑怯な裏切り者でしかない。しかも背後から首を掻き切っているし、およそ名誉に値しない。あの戦況下ではガロナでなくともレイン王を殺すのは容易だった。
  • その後のローサーvsブラックハンドの決闘も拍子抜けだった。グルダンによってフェルの力でエンパワーされていたブラックハンドは常識的に考えてもっと強いはず。ローサーはさらに強いのだと言われてしまえばそれまでだが、一撃で決着がつくのはさすがにどうかと思った。
    しかもその後、立ち去ろうとするローサーに対して、グルダンが「奴を殺せ」とオークたちに命令するが誰も従わず、ローサーを見逃すが、あそこでグルダンが急におとなしくなっていたのも不自然だった。手下のオークたちも、それまではグルダンの命令を無批判に受け入れていたのに、一転して敵の名誉を重んじるようになるのは、グルダンが伝統的な名誉の決闘を踏みにじりデュロタンを不正に殺した場面との整合性を欠く。
  • などなど一部の納得いかない点はあったけど、原作ゲームファンとしては、映画そのものは大いに楽しめた。
    ゲームではおなじみのエルウィン・フォレストを上空から見下ろす場面ひとつとっても、なんとも言えない感動があった。カラザーン(Karazhan)で執事のMoroes(思い出のraidボス)が登場しただけで大盛り上がりだったし、WoWをプレイしている人にとっては感慨深いシーンがいたるところに散りばめられていた。
    逆に言えば、WoWの世界になじみがない人がこの映画を見て果たして楽しめるのかどうか、そこは想像が及ばないので分からない。
  • 監督のDuncan Jonesは、WoWをβの時代からやってた最古参プレーヤーとのこと。インタビューで彼が告白していた。

Finding Dory(2016) ファインディング・ドリー

ざっと感想(ネタバレ込み)

  • 前提知識なしに映画を観てまず思ったのは、この作品は自閉症への讃歌だということ。
    googleで"Finding Dory, autism(=自閉症)"と検索したところ大量のブログ等がヒットしたので、皆さん思うことは同じなんだなと。中には、自閉症の息子さんを家族に持つお父さんの感想などもあり、彼によるとドリーの姿を息子に重ね合わあわせて映画を観たとのこと。(もちろん、他のブログにはステレオタイプな自閉症理解に基づく描写はけしからんというお叱りの意見などもあった。)
  • 映画の中ではautismという言葉は一切出てこないし、ドリー本人が自己紹介で言う通り彼女が実際にかかっているのは短期記憶喪失(short term memory loss)だけど、ドリーの言動を見ていると、自閉症を思わせる描写が多い。
    彼女は短期記憶喪失のため相手の言ったことをすぐ忘れるので、結果として相手の言うことをあまり聞いていないかのような言動を取ったり、ドリー本人にはまったく悪気はないのだが、結果として周囲を困らせるような言動を取ったりする。自分の身にふりかかる害に対しても無頓着なので、無防備で脆弱な印象を与える。ニモも父マーリンもそんなドリーの個性についてはよく理解しているので、いつも温かく見守りフォローしている。
  • いうまでもなく、自閉症的なドリーの個性と対照的に描かれているのが、いつもあれこれと強迫的に身の回りの心配ばかりしている神経症的なマーリン。
  • この映画で最も感動的なシーンの一つは、ああなったらどうしよう、こうなったらどうしようと心配ばかりして行動に踏み切れない神経症的なマーリンが、息子のニモと一緒にドリーを探すうちに、窮地に陥り出口なしの状況下に置かれた時、息子のニモが父にアドバイスをかける場面。
    "What would Dory do?" (こんな時ドリーならどうする?)
    この助言が神経症の呪縛からマーリンを解き放ち、とりあえずやってみる・行動してみるという思い切りにつながり、結果としてマーリンは状況を打開する。
    この映画が自閉症讃歌だと思えるのは、こういった、ドリーの個性をポジティブに解釈して、自閉症から良い所を学ぶ、もっと極端に言えば、自閉症になってみるというような選択肢を提示しているところ。僕達人間の社会においても、誰もが神経症的な困難を抱えている中、社会に対する距離の取り方など、自閉症の人が持つ素敵な個性から学ぶことは多いと常日頃感じていたので、このシーンを見て共感した。
  • 今作もまた、前作に負けないくらい、主人公ドリーをアシストする脇役たちが本当に魅力的だった。
  • 7本足のタコのハンク(Hank):チート級と呼べるほどのキャラ性能を持つタコ。物語終盤では車まで運転してしまうあたりはさすがに笑ったけど、長時間陸に滞在しても平気な上に、擬態能力(周囲の風景に溶け込み人間をあざむく)、緊急時のタコ墨発射による撹乱、吸盤を利用して天井・壁などあらゆるところを縦横無尽に移動する機動力の高さなどもろもろ備えた上に、何よりドリーに対して非常に優しい。
    口調や態度はぶっきらぼうで本当は人間嫌い(タコ嫌い?)なのだが、ドリーが身に付けているタグが欲しくて仕方ないので、常にドリーの身を案じていておせっかいと呼べるまでの配慮をする。
    そして彼もまた非常に神経症的な人物として描かれていて、彼がドリーのタグを欲しがる動機というのが、タグを身に付けているとクリーヴランドの水族館に送られて海と永遠におさらばできるから。
    彼にとって、海は過去の不快な記憶・思い出(extremely unpleasant memoriesと彼は表現していた)に満ちた、二度と戻りたくない場所なので、水族館に送致されて水槽の中で一人で静かに余生を送りたいのだという。
    過去に彼に何があったのかは語られないが、海という、タコにとっての社会の軋轢の中で苦しんだ結果、現実逃避を図ろうとしているのが彼。そんな彼もまたドリーのポジティブな個性に勇気づけられ、最後はドリーと共に海に帰る。
  • 近視のジンベイザメのデスティニー(Destiny)と、反響定位エコロケーション)のやり方を忘れたシロイルカのベイリー(Bailey):
    この愛すべき二頭のどたばたコンビも最高だった。物語終盤、ふたりで水槽を脱出して海に向かってダイブする場面で交わされた会話が良かった。どこかで聞いたことのあるような有名っぽい台詞なので多分元ネタはあるんだろうけど。
    "There is no walls in  the ocean! It's your destiny, Destiny!" (海には壁なんてないぞ!これは君の運命だ、デスティニー!)

The Conjuring 2(2016) 死霊館 エンフィールド事件

ざっと感想とメモ(ネタバレ込み)

  • 起承転結の転に相当すると思われる、一気にテンションが上がる場面は、この家の心霊現象を引き起こしている真のラスボスの正体が明かされるところ。
    それまでの話の流れでは、この家の元所有者であるビルという名の老人の霊が新しい住人を家から追い出すために嫌がらせをしていると思われていたが、実はこの老人の霊は、真の親玉によって囚われ使役されている被害者に他ならなかった。
    霊能者妻ロレインによれば、ビル老人の霊は単なるポーン(pawn:チェスの歩兵駒)にすぎないとのこと。(霊能者夫エドはファサード(facade)という表現を使っていた。真の正体を見えなくするためのファサードに過ぎない、と)
    この老人ビルの霊は、真の親玉にバレないように、密かに助けを求めていたのだった。録音テープに残された、ビル老人の意味不明な発言2つをそれぞれ同時再生して重ねてみると、"Help me! It won't let me go!" (助けてくれ!「それ」が私を離してくれないのだ!)というビル老人の悲痛な叫びが再生されるシーンにはゾッとした。
    ビル老人の霊は、「それ」による検閲の目をかいくぐるようにして、ウォーレン夫妻宛てにメッセージを送っていたのだった。(ビル老人は、もう一つ、なぞなぞめいたメッセージをロレインに対して伝える。このなぞなぞを解くことが、最終的に「それ」を打ち倒すためのカギになる。)
    「それ」=真の親玉の正体は、尼僧の姿をした悪魔的な存在("a demonic presence"という表現をロレインは使っていた)。
    ロレインによると、「それ」が尼僧の姿をしているのは、神を冒瀆する姿をあえてとることによって、霊能者ロレインの神に対する信仰心に揺さぶりをかけるためらしい。
  • ビル老人の霊が残したなぞなぞ:「私は与え、与えられる。私はお前が産声を上げた時にそこにいた。頼まれてもいないが、私はお前にずっとついて行く、お前が死ぬまで。」の答えは、「名前」。
    よく知られているように、悪魔の名前を明らかにすることで、それと対等に戦えるようになるというのは、キリスト教文化圏のエクソシズムにとっての基本らしいので、霊能者ロレインもそのやり方でラスボスと戦う。
  • 絵に描いたようなハッピーエンド作品なので、人に薦めやすい。
  • 1970年代後半、英国ミドルセックス州のエンフィールドで実際に起きた有名なポルターガイスト現象と、それを調査したことのある実在のエド&ロレイン・ウォーレン夫妻にインスパイアされて書かれた、ある程度は事実に基づいたフィクションとのこと。
  • 尼僧の姿をした悪霊が不気味で強烈。案の定、グーグルの検索候補に、Conjuring 2 Marilyn Manson があった。マリリン・マンソンとシスの暗黒卿を足して二で割ったようだと書いてる人がいた。
  • 老人ビルの霊と、尼僧姿の悪霊の他に、もう1体、曲がった男(crooked man)も登場する。エドによれば、こいつも老人ビルの霊と同格で、親玉によって囚われ使役されているだけの存在らしい。幽霊というよりは西洋妖怪ぽい感じの見た目。
    マザーグースに出てくるcrooked manがどういうイメージでホラー映像化されているのかも見ものだと思うけど、一般的に想像される背中が曲がった男(せむし hunchback)ではなくて、手が鉤爪の男として描かれていた。「鉤爪男」。

ざっとストーリーあらすじ(適当)

霊能者エド&ロレイン・ウォーレン夫妻は、英国エンフィールドのとある民家で起こった一家惨殺事件(長男が両親・弟妹たちを銃で殺害)の霊視を行う。この長男は霊に憑依されて凶行に及んだらしいが詳しいことまでは分からなかった。

空き家となったこの民家に、新しい住人が引っ越してきた。シングルマザーの母と子供が4人(年長の姉妹2人、年下の兄弟2人)。一家は、ポルターガイスト現象や、老人の霊や曲がった男の霊の目撃など、様々な心霊現象に遭遇する。

特に妹のジャネットは、強度の霊媒体質な上に、自宅でウィジャボードこっくりさん)を行うほどのオカルト好きで、夢遊病の症状もあった。

一方その頃、霊視を行ったウォーレン夫妻もまた悪夢や幻視によって謎の存在を目撃していた。夫エドは不気味な尼僧の姿をした存在を目撃していたが、ある日、尼僧姿をした存在は、霊能者夫妻の自宅に出現し、妻ロレインに対してこれ以上関わるなと警告を与える。夫エドが殺されるヴィジョンを視ておびえる妻ロレイン。

エンフィールドの民家の心霊現象の噂は広まり、TV局も取材にやって来る。老人の霊が妹ジャネットに憑依し喋る様子もテレビカメラに収録された。

(中略)

霊能者夫妻が心霊現象の解決に乗り出す。老人の霊は「ここは俺の家だ。お前たちは出て行け」云々と言い張る。

(中略)

妹ジャネットが自ら家具を投げ、食器を折り曲げる様子がカメラに写っており、すべての心霊現象は妹ジャネットによる自作自演であると判断され、調査とエクソシズムは中止となる。霊能者夫妻も民家から撤収する。(妹ジャネットによれば、自作自演をやってエクソシズムを中止に追い込まなければ家族を殺すと悪霊から脅迫を受けていたため、仕方なく自作自演だと思わせる行動をやったらしい)

だが霊能者夫妻は録音テープに残された老人ビルの霊が語る言葉の隠されたメッセージに気が付き、心霊現象が妹ジャネットの自作自演ではないことを見抜く。そして、民家を支配しているのは老人ビルの霊ではなく、さらなる悪魔的存在こそが黒幕であると結論する。一家を救うため、民家へ急行する夫妻。

いろいろ奮闘の末、悪魔的存在は倒され、一家は救われてハッピーエンド。